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新版 年収300万円時代を生き抜く経済学
俗に言う「勝ち組」。それは全体のわずか1割の人々だけしかなれない。それになるためにはプライベートは捨て他人は蹴落とさなければならない。しかも今後は勝ち負けの格差はさらに広がり、アメリカンドリームのような持たざる者から大きな成功を収めることはまさに奇跡に近くなっていく。それならば勝ち組=幸せと考えるのは止め、見込みのない努力をし続け苦しむのではなく、お金や地位とは違った形の幸せを見つけて生きていったほうがいいんじゃない?というようなことを今の日本経済の状況などを交えて筆者は提言されています。
只今、成功する為の本を読んでいる私には、とても興味の持てない本です。でも本を読むのはいいことと思うし、興味のない物も読んで行こうと思っているので、成功した後こんなのも読んでみようかな。
更新日:2006/02/23 23:54:54
カスタマーレビュー
世の中の縮図がこの本一冊でわかります
著者には印税が入って趣味のミニカーにお金を費やすことができる。
まさにこの世の縮図です。
そうだよなあと共感させられることの多い本でした
一言でいってしまえば、「身の丈に合った暮らしをする」という言葉に要約できるように、妙なプライドや競争意識を捨てて、人間らしい生き方をしようということ。そして、その方が楽しいですよといったこと。これまでの自分の生活にあてはめてみても、仰るとおりだなあと、身につまされる言葉でした。
具体的な処方箋も、いくつか示されており、生きていくうえで、ちょっと、心が軽くなる、そんな1冊でした。
がんばれ、ドラえもん、
その点では著者は若手弱気派の代表ですが本書はそれなりのロングセラーー化することも間違いない、題名で「経済学」と付けるのはアカデミズムに失礼とおもうが低所得での「処世術」を身につけ前向きに暮そうという姿勢には共感する読者は多いでしょう、
安易に階級という左翼の手垢にまみれた言葉を持ち出すのは21世紀の現在ではもっとも避けるべきこと、きちんと所得水準による生活程度(特に消費活動)に相違が生じるといった表現を使うべきでしょう、それがことさらに話題にするほどの重要事項なのかとは思います(昔からそうだったでしょうに)、
他作家の類書も同様ですがまるで日本人全員が「給与所得のみ」で暮しているかのような視点は著者それぞれの「体質」を明確に物語るおもしろい傾向と考えています、日本のようにもともと豊かで国民の資産形成の平準化がとても進んだ国においては「給与所得のみ」といった社会主義国家を分析するような視点では見えてこない部分が大きい事にもっと読者側も自覚的になるべき時期と考えます、
テレビで著者を見る度に感じてたのが、あー、この人は腰抜だな、でした、泥棒が入っても決して戦う事はないだろう体質が小泉・安倍時代に露出が少なくなるのは仕方がないことです、過去の文化人の誰に似てるかといえば司馬遼太郎だとおもいます、
「下流社会」と対で読むと面白い
三浦展の「下流社会」を読んだ直後だったので、
この2つを対比させながら非常に興味深く読むことが出来た。
「今後の日本がより階級差の激しい社会に変わる」と言う点では、
2つの本の著者の認識は一致している。
その変化を、三浦が「必然的な流れ」と解釈しているのに対し
森永は「小泉を初めとしたエリート層の陰謀」とする。
また、三浦が「下流にならないようにしよう」と訴えるのに対し、
森永は「下流でも良いじゃないか」と言う。
どちらが正しいかを結論づける必要はないだろう。
それぞれ目指す方向によってどちらの本もそれなりのヒントを与えてくれる。
「下流社会」のレビューにも書いたが、
日本社会の階級化が進むことは避けようのないことなのだ。
自分なりの対処を見つける必要があるが、
「この本の通りにやれば全てOK」はありえない。
複数の情報源から自分にとっての最適解を見つけるしかないのだ。
この文庫版は、オリジナルの「年収300万円を..」と、
その続編の2つの単行本を合体させたものらしい。
オリジナルがベストセラーになった際に
「自分は高収入なのに..」と言う批判が殺到したのだろう。
文庫の後半部分(おそらく続編の内容)に、
森永自身の年収300万円時代や少年時代のトラウマも書かれている。
ある意味で話題の人物である森永卓郎のルーツを探る点でも興味深かった。
星3つか4つで迷ったが、
「下流社会」よりは全体を通して楽しく読めたので星4つ。
なるほど2極化への対応ですね
この手の本でいつも引っかかるのは「経済学」という題名です。学などと呼べるようなレベルに達していないのに、何かこういう名前を付けたがる。竹内さんの『路地裏の経済学』以来の悪習なのだろうかと思います。
とはいえ、内容としてはすばらしいものだと思います。
1,経済の現状として、今後は年収300万の庶民と、何千万、何億という1割以下の金持ちに階級分化していくということを指摘し、
2,このような社会においても、庶民はつまるところ「妙な外見のこだわり」あるいは見栄みたいなものを捨てれば、人間は年収300万で十分やっていけるというものです。例えばブランドものがほしいとか、いいクルマに乗りたいとか、いいものを食いたい とかいうようなものですね。
確かに1980年代以降 アメリカから始まった所得格差の拡大現象は先進国全般に拡がっています。日本ではこれまで年功序列制度のおかげで1000万にまで上昇してきた単なる事務職サラリーマンの年収ですが、今後は何のスキルもないサラリーマンが300万円の年収になるのは必然的でしょう。この意味で1は正しい現状認識だと思います。
しかし著者の本分は2の当為概念的な主張にあります。自身の経験も交えながら、300万も1000万も大した差はないのだと言いきる著者には好ましい共感を覚えます。僕自身、BMWに乗りたいとか、エルメスの時計が欲しいとか、何かそういうような欲求に絶え間なく悩まされるのですが、クルマは軽自動車、時計は携帯の待ち受け、水分補給は水道水、という生活でもやっていけるのは経験済みです。
いうまでもないことですが、アメリカなんかではフリーター的な所得階層では年収は200万にも満たないのです。しかし、僕の経験ではそれでも人として主観的には人たる尊厳を持って生きるのに不十分ではないと思います。
おそらく僕はサラリーマンではないために、人との関わりが大分少ないために こういうことが可能なのかもしれませんね。濃密に人と接するなら僕もアルマーニのスーツでも、と我慢できなくなってしまうのかもしれません。あな煩悩の尽きまじや 南無阿弥陀仏 ナムアミダブツ、、、、
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